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リゲッタ誕生秘話 第12回

Re:getA誕生秘話

リゲッタ誕生秘話 第12回

「30歳になるまでは何があってもあきらめない。」

2001年、3月の結婚式は全く笑えませんでしたね。
浮かれている彼女には仕事の状況を言えなかったので、
マリッジブルーになってると思われたみたい。
披露宴の間も 「 仕事どないしよ・・・。 
新婚旅行なんて行ってる場合ちゃうなぁ・・・。 」
って思ってましたね。

2001年、タカモトゴム工業所からシューズミニッシュに屋号を変えて心機一転、
靴業界にチャレンジします。
取引先は0件。
展示会経験なし。
営業経験なし。
経営体験なし。
靴業界の常識知らない。
いろんなビハインドを抱えながらの船出です。

ちなみにシューズミニッシュの屋号の由来ですが、
当時4匹のミニチュアシュナウザーというドイツの犬種を飼っていました。
この子たちは暗くなりがちな毎日に元気をくれました。
だからこの子たちのためにも仕事を頑張らないといけないし、
有名にならないといけないと思って、
ミニチュアシュナウザーを略して
『 ミニッシュ 』 にしました。

この子たちは僕が夜中3〜4時まで残業しても
ずっと回りを囲んで見守ってくれます。
この子たちがいたから、毎日いくら遅くまで仕事をしても
大丈夫だったんだと思います。
だからやっぱり大事な家族でした。
(ちなみに犬はとにかくお金がかかります・・・。)


Re:getA誕生秘話イラスト:高本 泰朗

【30歳になるまでは何があってもあきらめない。】

2001年創業年はほぼ仕事なし。
職人さんはほとんど逃げ出しましたね。当然ですが・・・。
一件の職場さんだけいくら仕事がなくなっても
「 高本さんに着いていく 」 って言ってくれた職場さんがあったことで
細々でも靴作りを続けることが出来ました。

親元メーカーから注文書をもらっていた下請け時代は、
発注書一枚で約1000足の注文数がありました。
メーカーを始めたら、30足の注文書でも
地面に頭が付くくらいお礼を言いました。
とにかく細かい注文書。
30足の注文書を10枚かき集めて300足にして出荷します。

下請け時代、一か月最大2万足生産していたのが、
メーカーをやりだした2001年は最高でも
一か月5000足くらいしか出荷できませんでしたね。。。
出荷が1000足って月もありました。
借金は増える一方です。
それでも諦めていなかったのはすごいと思います。
30歳になるまでは何があってもあきらめない。
と心に決めていました。

<つづく>

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第13回は2016年2月19日(金)公開!乞うご期待!
職人 Re:getAデザイナー 高本 泰朗 靴職人 Re:getAデザイナーシューズミニッシュ代表取締役 高本 泰朗

生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。
靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。
2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。