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リゲッタ誕生秘話 第8回

Re:getA誕生秘話

リゲッタ誕生秘話 第8回

「この頃は靴作りは楽しい…という考えはなくなっていました。」

当たり前のことですが、デザインを他の下請けメーカーと分け合うことで親元メーカーからタカモトゴムへの発注量が減少しました。
クレームを言い出した下請けメーカーさんは若い社長をうまく懐柔し、どんどん自分の会社だけに注文が集まるように操作していきました。
この下請けメーカー「G」の社長はタカモトゴムに恨みがあったようでした。
僕の父は先代の社長に可愛がられていたそうなので、それが昔から気に入らなかったようです。
そういう点もあって社長が交代したことを、下請けメーカー「G」はチャンスだと考えていたようです。

これではいくらデザインを絞り出しても限界がある・・・
でも資本力のないタカモトゴムは独立なんてできない・・・
ということで、何度か若い二代目社長に仕事をもらえるようにお願いに行きましたが、何を言っても聞き入れてもらえません。
そして社長に 「 裏切って独立する下請けは背任行為だ。 」 ということを言われてしまいました。
「 苦しい時代だからみんなで苦労を分け合おう。 」 と。

「 いや、 他の下請けメーカーは苦労はしてるかも知らんけど、努力はしてないでしょう。 」
喉から出そうになりますが、そんなこと言えるわけがありません。

これでは僕のモチベーションも上がりません。 結婚もしないといけないのです。
ご飯を食べるために、そして両親を養うためにも必死です。
とにかくお金を稼がないといけなかったんです。
下請けメーカーなので生活する程度しか利益が出ないのに、これ以上仕事が減ると大変なことになる・・・。



Re:getA誕生秘話イラスト:高本 泰朗

【夜中3〜4時くらいに発狂しそうになりながら】

どうやって現状を打破するか連日連夜考えました。仕方なく逆に考えようと思いました。
「 じゃあ、僕が生贄になってすべての下請けメーカーが潤うくらいデザインすればいいんだ。 」と、
考えを変えて連日徹夜を続けながらたくさんのデザインを作りました。
(今現在が展示会に出展するデザインを10点とすると、当時は一人で40点作っていました。)

デザインって大変で、どんなに売れる新しいデザインでもお客様指定の見積もり以内に抑えて、
なおかつ見栄えの良い売れる商品を作らないといけません。
素材の選定、作業内容、工賃の支払いなどミスのないように見積もり・計算しないといけません。
見積もりミスがあるとあっという間に赤字が出てしまう・・・というくらい薄利で靴作りしていました。
だから見積もりを取る作業は精神が疲れる作業でした。

見積もりを取るという作業はとにかく大変で、素材の取り数、工賃の計算、粗利益の算出などすべてが息の詰まる作業です。
見落としがあったら大変なことになります。
父を含めて、誰も見積もりを教えてくれる人がいなかったので、自分で徹底的に調べました。
過去10年間の支払い明細をすべてチェックし、ノートに部門ごとに書き写していきました。
かなりの時間がかかりましたが、そうすることで本物の見積もりの技術が身に付きました。
Re:getA誕生秘話
夜中3〜4時くらいに発狂しそうになりながら、手製の見積書を睨んで電卓を叩きます。
最小のコストで靴を作るためにはデザインでやりたいことが出来ないし、やりたくないこともしないといけません。
自分のコンセプトとずれても靴を作り続けないといけません。
メーカーは薄利でも何でもいいから靴を作り続けないと維持費がかさみ、借金が増えます。
そして職人さんの仕事がなくなり、違うメーカーさんに職人さんを引き抜かれてしまいます。

とにかく見積もりを取るっていうのは靴作りにおいて、一番嫌いな作業でした。
今でもトラウマになってるので見積もりは嫌ですねー。
「 デザインに対するこだわりを消す 」 という作業だから嫌で嫌で仕方がなかったです。
いつか自分の作りたいものを制約なく作りたいなぁ・・・ってずっと思っていました。
この頃は靴作りは楽しい・・・という考えはなくなっていました。

<つづく>

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第9回は12月25日(金)公開!乞うご期待!
職人 Re:getAデザイナー 高本 泰朗 靴職人 Re:getAデザイナーシューズミニッシュ代表取締役 高本 泰朗

生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。
靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。
2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。