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リゲッタ誕生秘話 第9回

Re:getA誕生秘話

リゲッタ誕生秘話 第9回

「一瞬で 『 職なし 』 になった瞬間でした・・・。」

孤軍奮闘ではありますが、展示会用のデザイン作成に励みました。
そして2000年10月展示会、当時の僕の靴作りの集大成のような錚々たる顔ぶれの新作が揃いました。
この布陣であれば数件ある下請けのメーカーさんに仕事が回り、
タカモトゴムにも安定した仕事をもらえるはずだ・・・ と。
精神も身体もボロボロでした。
もうこれ以上は無理。と言い切れる新作を作りこみました。
ほとんど寝てなかったですねー。
当時の自分は根性あるなぁと今でも思います。

努力の甲斐あって展示会は大盛況。
親元メーカーさんの営業さんたちも「 やっちん!(僕のことです。) よく頑張ったねぇっ! めちゃくちゃ売れてるよっ! 」 って
言ってくれていました。
(当時、親元メーカーの社員さんたちはみんな僕の頑張りを知っていたので反会社の体制で僕のことを応援してくれていました。)

二日間の展示会が終わり、やっとゆっくり眠れると思いました・・・。
とりあえずこれで大丈夫だろうと・・・。
とにかく疲れていました。死人のような眼をしていたと思います。
それくらい魂を込めて靴作りしてきました。
誰か真似できる人がいてれば会ってみたいって思うくらい。

数日後、展示会の集計がそろそろ出るころだと思い、注文書のFAXを心待ちにしていました。
すると親元メーカーの営業さんから電話、
「 やっちん、えらいことになったよ・・・。 今回のやっちんの作った商品だけど 製品版は全部中国で作るって社長が言い出したよ・・・。 」
と僕にこっそり伝えてくれました。


「 えっ!? 」

はっきり言って  「  えっ!?  」  しか言えませんよね。



Re:getA誕生秘話イラスト:高本 泰朗

【血も涙もないのか!?】

自分の人生の時間を殺し続けて、新作デザインの作成に没頭してきました。
それだけ努力をしてきた人間に対して、こんな非人道的な仕打ちってある? って感じです。
確認するとタカモトゴムばかりに仕事が流れることを妬んだ例の下請けメーカー「G]の社長が 親元メーカーの社長に中国生産を持ちかけたようでした。
「中国で作ったら、日本で作るより〜〜円くらい利益があがりますよ・・・。
協力するので一緒にやりましょう・・・。」 ってことらしいです。

数日後、広島の親元メーカーにすべての下請けが緊急招集。
営業さんがこっそり教えてくれた電話の内容通りのことを集まったみんなに社長が伝えられました。
そして例の下請けメーカー「G]の社長が親元メーカーに相談役として入社するということも伝えられました・・・。

下請けメーカー「G]社長 ・ 入社のあいさつ。
「 緊急事態なので今後もこのスタイルでいきます。売れた商品はすべて中国で生産します。
  それがわかる下請けだけついてきてください。そして本社のためにデザインしてください。 」

出る杭だったんですかねぇ・・・。
2000年の年末に何の前触れもなくスパッと切られてしまったんです。
一瞬で 『 職なし 』 になった瞬間でした・・・。
ありえない決定に僕の父親は猛反発しました。
「 血も涙もないのか!? 先代の社長は絶対にこんなことしなかったのに! 」 と。
普段は絶対に声を荒げることのない優しい父親が見たことないくらいに怒りをあらわにしていました。
父も僕の努力を見ていただけに責任を感じたのでしょう。
ここで切れたらどちらにせよ、もう首です。
いろんなことが重なりすぎて僕は気を失いそうになっていました。

<つづく>

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第10回は2016年1月8日(金)公開!乞うご期待!
職人 Re:getAデザイナー 高本 泰朗 靴職人 Re:getAデザイナーシューズミニッシュ代表取締役 高本 泰朗

生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。
靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。
2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。