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リゲッタ誕生秘話 第1回

Re:getA誕生秘話

リゲッタ誕生秘話 第1回

「何もない自分の人生設計のなさに焦りました。」

リゲッタの制作秘話に関してですが、それを知るにはあまりにも長くなってしまいます。

まず製作者の僕がどんな経緯でリゲッタまで辿りついたかを皆さんに知ってもらわないと意味がありません。もしかするとブランドイメージが悪くなる可能性もあります。ただ、綺麗ごとで考えたブランドではないのでご理解頂きたいと思います。

僕は生まれも育ちも大阪の生野区という下町で育っています。(1975年生まれ)。頭が特にいいわけではなく、人様に迷惑をかけるような不良少年でもなく平々凡々と育ってきました。実家が履物を作っているということはわかっていましたが、そこまで教育熱心でない両親に育てられたので、実家の靴作りの仕事に対する誇りなどもなく高校までなんとなく進学したと思います。

子供のころから好きな教科は『図工・美術』スポーツはからっきしです。かと言って文化系バリバリの暗いイメージもなく、何か新しい遊びや活動を考えるのが好きだったので、子供のころからイノベーション意識は高かったんだと思います。
小学生の頃の通信簿の評価は、「いつも友達の輪の中にいる高本君、新しい遊びを考えてはみんなと楽しんでいます。もっと勉強頑張ろうね。」みたいな感じでしたね。

高校三年まで将来のこと、進路のことなんて考えたこともありませんでした。 さすがに高校三年にもなると周りの生徒も加速度を増して将来のことについて考え出すので、何もない自分の人生設計のなさに焦りました。

Re:getA誕生秘話
イラスト:高本 泰朗

【『きっかけ』さえあれば人間はどんな形にも生まれ変われる】

経営者である父には『家業を継ぐか?』と言われました。『靴業界に入ったら一切遊ぶことは出来ん。大学にでも行って4年間遊んでから靴業界に入れ。』と言われましたが、なんかそれもなぁ・・・、時間の無駄かなぁという考えもありましたし、そもそも大学に行くような学力もないし、浪人してまで大学に遊びに行くのもどうかと。
親の勧め通り、高校卒業後は東京の浅草にある『エスペランサ靴学院』という靴の専門学校に行くことにしました。人生設計もない自主性もない空っぽの人間だったと我ながら思います。高校の進学も大体が親の意見通りでしたしね。。。社会を舐め、生きることを真面目に考えない若者でした。
実際に専門学校に行く時も『やった。東京で一人暮らし出来る。』くらいしか考えてなかったですね。いやはや情けない・・・。
そんな若者だったので今でも若い子でだらしない子がいてたとしても強く指導することが出来ません。そのかわり『きっかけ』さえあれば人間はどんな形にも生まれ変わると実感したのが僕の人生経験です。何のビジョンもやる気もなかった男の子がどんなふうにたくましく育つか?人生って面白いものだとつくづく思います。

Re:getA誕生秘話

【僕はごくごく普通の生徒でした】

東京の専門学校に行っても特に結果を出すわけでもなく、相変わらず平々凡々な学校生活。優等生にはなれませんでしたね。。。
ただ、その学校には高校出たての若い子はほとんどいてなくて、25歳前後の当時の僕からすれば『大人の人』がたくさんおられました。その中で先輩方によく可愛がってもらえたので、社会での人の在り方、靴の面白さみたいなのは覚えることが出来たと思います。
「靴って楽しいんかな・・・?」って入口くらいには立てたかもしれません。

そしてささやかながら、一般の人よりは靴のことについて「詳しい」という優越感も持てることが出来たのが大きな進歩だったと思います。
とは言え、ちっぽけなもので、デザイナーへの憧れだけ強いくせに、努力はしない若者だったと思います。「デザイナーはシュッとしてて格好いい。女の子にもモテるやろなぁ・・・。」(のちにデザイナー業は重く、泥臭いと気付くわけですが。)
当時の自分の甘さを思い出してこの文章を書いていると恥ずかしくなります。
昔から絵を描くことや図工が好きだった僕は、不器用な他の生徒に比べれば少しくらいは靴に関する技術は呑み込みが早かったかな?
でも専門学校の先生からすれば、僕は目立った才能やセンスを持っていたようには感じなかったと思います。ごくごく普通の生徒でした。


<つづく>

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第2回は9月18日(金)公開!乞うご期待!
職人 Re:getAデザイナー 高本 泰朗 靴職人 Re:getAデザイナーシューズミニッシュ代表取締役 高本 泰朗

生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。
靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。
2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。