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リゲッタ誕生秘話 第18回
「壮大な靴売り場を埋め尽くす大量のリゲッタのコピー商品!」
1年後、2006年、30歳。 また夏が来ました。 昨年、大盛況だった量販店さんは今年もリゲッタを扱ってくれると言っていた。 もっと売れるように頑張ろう。 と準備して待っていましたが、待てど暮らせどバイヤーから連絡がありません。 バイヤーに連絡を数回入れるも、何やら歯切れの悪い回答ばかり・・・。 あれ?おかしいなぁ?と思って、 その大手量販店の売り場にフラッと見学に行くと、目を疑う光景がありました。 リゲッタのコピーが壮大な売り場を埋め尽くすように並んでいました・・・。 日本製のリゲッタより2000円安いそっくりなコピー商品が。 それも大量に。 またもや頭がおかしくなりそうでした・・・。 にぎやかな売り場に一人肩を落とします。 試着しているおばちゃんたちは、 「あーこれ、ええデザインやん。」 「履きやすいわ。 これ買うとこ!」 履きやすいに決まってる。 僕が設計したんだから・・・。
【お医者さんでも原因がわからない奇病】
「やっぱりダメだったのか・・・。」 どんなに靴と真剣に取り組んでもこの国の靴業界には自分の居場所がないんやな・・・。 もともと貧乏な家に育った僕が正しいことをしようといくら努力しても無駄なんやなぁ。 いくら正しいことをしても無駄。 あぁっ、そうか僕ももう30歳か・・・。 時間切れ、ゲームオーバーなんやな。 30歳になったらどうなってもいいって言ってたもんな。 それは仕方ない。 映画で言えばバッドエンドってやつか。 よくあることやね。 どこにも逃げ道がなく、若き自分の才能が、 周りの人たちに吸われていくような錯覚を持っていました。 徹夜続きで仕事をしていて、寝る時間ももったいなかったので、 ご飯はほとんど食べていませんでした。 体力と睡魔との戦いだったのでご飯を食べると眠たくなるんです。 胃が空っぽという極限の状態だと感覚が研ぎ澄まされるので、 その状態を大事にしていました。 そんな意味のない努力のせいで体調を大きく崩しました。 食事が喉を通らないというお医者さんでも原因がわからない奇病にかかり、 一口もご飯が喉を通らなくなる。 食事が目の前に出ると吐き気が止まらない。 常に気分が悪い。 精神も体力も枯れ果てて、誰が見ても限界。 仲の良いメーカーさんからは「人間が生きてる顔してないとにかく休め!」って言われてました。 仕事に対するやる気もなくなり、ずっと放心状態。 何もかも面倒くさくて仕事も手につかない・・・、 30歳はそんな一年でした。 <つづく>
生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。 靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。 2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。
リゲッタ誕生秘話 第18回
「壮大な靴売り場を埋め尽くす大量のリゲッタのコピー商品!」
1年後、2006年、30歳。
また夏が来ました。
昨年、大盛況だった量販店さんは今年もリゲッタを扱ってくれると言っていた。
もっと売れるように頑張ろう。
と準備して待っていましたが、待てど暮らせどバイヤーから連絡がありません。
バイヤーに連絡を数回入れるも、何やら歯切れの悪い回答ばかり・・・。
あれ?おかしいなぁ?と思って、
その大手量販店の売り場にフラッと見学に行くと、目を疑う光景がありました。
リゲッタのコピーが壮大な売り場を埋め尽くすように並んでいました・・・。
日本製のリゲッタより2000円安いそっくりなコピー商品が。
それも大量に。
またもや頭がおかしくなりそうでした・・・。
にぎやかな売り場に一人肩を落とします。
試着しているおばちゃんたちは、
「あーこれ、ええデザインやん。」
「履きやすいわ。 これ買うとこ!」
履きやすいに決まってる。
僕が設計したんだから・・・。
【お医者さんでも原因がわからない奇病】
「やっぱりダメだったのか・・・。」
どんなに靴と真剣に取り組んでもこの国の靴業界には自分の居場所がないんやな・・・。
もともと貧乏な家に育った僕が正しいことをしようといくら努力しても無駄なんやなぁ。
いくら正しいことをしても無駄。
あぁっ、そうか僕ももう30歳か・・・。
時間切れ、ゲームオーバーなんやな。
30歳になったらどうなってもいいって言ってたもんな。
それは仕方ない。
映画で言えばバッドエンドってやつか。
よくあることやね。
どこにも逃げ道がなく、若き自分の才能が、
周りの人たちに吸われていくような錯覚を持っていました。
徹夜続きで仕事をしていて、寝る時間ももったいなかったので、
ご飯はほとんど食べていませんでした。
体力と睡魔との戦いだったのでご飯を食べると眠たくなるんです。
胃が空っぽという極限の状態だと感覚が研ぎ澄まされるので、
その状態を大事にしていました。
そんな意味のない努力のせいで体調を大きく崩しました。
食事が喉を通らないというお医者さんでも原因がわからない奇病にかかり、
一口もご飯が喉を通らなくなる。
食事が目の前に出ると吐き気が止まらない。
常に気分が悪い。
精神も体力も枯れ果てて、誰が見ても限界。
仲の良いメーカーさんからは「人間が生きてる顔してないとにかく休め!」って言われてました。
仕事に対するやる気もなくなり、ずっと放心状態。
何もかも面倒くさくて仕事も手につかない・・・、
30歳はそんな一年でした。
<つづく>
生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。
靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。
2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。