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リゲッタ誕生秘話 第2回

Re:getA誕生秘話

リゲッタ誕生秘話 第2回

「師匠も僕のことを「この子はあかんわ。見込みないなぁ・・・。」って思ってたでしょうね。」

一年だけの専門学校を卒業した後も自分がどうしたらいいかわからず、大阪に戻ってぼけ〜っとしてました。親に「しっかりしろ」って怒られることもなかったですし・・・。とにかく自己主張がない。自分の人生観がなく、何がしたい、どうなりたいってこともなかったので流れに流されるまま〜っ てやつです。。。当時の僕には今みたいに熱く語れるものがなかったので、それを見かねた父親が『靴の本場、神戸・長田に修行に行くか?』と言ってきました。 。

今思えば父親も靴業界は将来性のあるいい業界ではないとわかっていたので、僕に強く勧めることが出来なかったんだと思います。

ふ〜ん。 そうなんや。暇やし行ってみよっかな〜。ぼーっとしてるのも格好悪いし・・・。そんなテンションだったと思います。誰かに決めてもらってる方が言い訳できるし、楽でしたし・・・。

Re:getA誕生秘話
イラスト:高本 泰朗

【自分の努力と自覚のなさはほっぽり出して、心の中では愚痴ばかり言ってたものです。】

数カ月後、知り合いの知り合いの知り合いのツテ・・・みたいな感じで神戸の事務所に入ります。神戸・長田にある 藤企画 という事務所で、製造メーカーさんから型紙(パターン)の仕事を受けているデザイン事務所に丁稚奉公させてもらえることになりました。もちろん給料やお小遣いは一切なし。事務所には藤田さんというおじいちゃんと池さんという40代の方がおられましたがよくよく考えたらその二人と僕の関係性は何もないのです。 利害関係一切なし。事務所に通いだしたときは 師匠二人から 『 なんでこの子を預からないといけないの・・・? 』 って空気がプンプンしており、「 はぁ〜、なんでこんなところで勉強せなあかんのかなぁ・・・? 高校の時の友達たちはバイトしたり、大学行ったり、就職して遊んでるのに、なんで俺だけこんなことせなダメなん? 」って自分の努力と自覚のなさはほっぽり出して、心の中では愚痴ばかり言ってたものです。

19〜20歳という一番遊びたい年代にお小遣いは一円もないという環境。高校時代の友達は青春を満喫してるのに、自分は何もできない。親の仕事なんて継ごうとするものではないなぁ。 誰かお金くれへんかなぁ・・・って自分のだらしなさは棚に上げて、しょげ返っていたような記憶があります。

事務所に行くのも遅刻ばかり、勉強する身でありながら残業することもなく、師匠が返る時間には居残り勉強せずにまっすぐ家に帰る・・・みたいな堕落した修行生活。今思い出しても殴り飛ばしたいようなふざけた若者です。師匠も僕のことを 「 この子はあかんわ。 見込みないなぁ・・・。 」 って思ってたでしょうね。

藤企画に通いだして半年くらい(20歳の時)に僕の三歳年上の姉が結婚することになりました。姉が結婚する相手はなんと神戸・長田の靴メーカーの中で5本の指に入るような有名なメーカーの息子さんでした。 長野県にスキーに行ったときに出会ったそうで、とんとん拍子に結婚までいったようです。

普通はありえない出会いですが、今思えばこれが人生の転機だったと思います。


<つづく>

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第3回は10月2日(金)公開!乞うご期待!
職人 Re:getAデザイナー 高本 泰朗 靴職人 Re:getAデザイナーシューズミニッシュ代表取締役 高本 泰朗

生まれも育ちも大阪の生野区という下町で過ごしてきたデザイナーの高本氏。
靴の専門学校、シューズメーカー数社での企画・デザインの経験を経て、当時靴の下請けであった実家「タカモトゴム工業所」で靴作りに励む。
2001年、後に「リゲッタ」「リゲッタカヌー」などのブランドを手掛ける「シューズミニッシュ」として、靴メーカーを始める。